2014年


北広島市


ある日突然
私のコンデジが消息を絶ちました。

いつからか・・・どこでか・・・
さっぱり見当もつきません

料理写真をコンデジで撮ろうと探してみるものの出てきません
いろいろ記憶をたどりながら
先ずは自分のごみ箱のような車の中を
みどちゃんにも聞いたりして

どこかに落とすとしたら・・・
芸北?

ダメもとで、北広島の警察署へ電話を入れてみました。



U「もしもし、お忙しいところお尋ねします
  落し物の問い合わせはこちらでよろしいでしょうか?」

P「はい。何の落し物でしょうか?」

U「黒いケースに入ったコンパクトデジカメです」

P「場所はどちらで?」

U「芸北です」

P「芸北、どんな字を書きますか?」

U (-"-)北広島のものがなんで知らんのよ もぐりか?
 「草冠の・・芸備線の芸に北です」

P「近くにはどんなものがありますか?」

U「臥龍山 とか」

P「山ですか?」

U・・・しばくぞ、こらっ!
 「はい。何年か前女子大生の痛ましい事件があった山です」

P「はぁ〜〜〜」


なんか変  なんかおかしい  


U「あのぉ〜 別のお尋ねですが
  私、この電話どこへかけたのでしょうか?」

P「北広島市の警察です」

U だよね、いいんだよね
  でも〜
 「北広島市ってあの島根県との県境の北広島ですよね」









  「こちら北海道の北広島市です!」

    w( ̄△ ̄;)w

  そりゃ〜  落ちてないわ・・・


お忙しい時にお手数をかけ本当に申し訳ありませんでした


  (*その後 、デジカメ君 出現してくれました♪)






宮本常一と覚心





って、知っちょって?

私は最近知ったんよ
宮本常一の名は大島出身の民俗学者というくらいは聞いたことが・・


先日柳井と大島へ行きました。
柳井では佐川醤油さんの醤油蔵へ・・・
醤油を試食?舐めさせてもらい ひっくり返し、(^_^;)
で、美味しかったので買って帰り


本当に偶然にごく最近 本で鎌倉時代の禅僧「覚心」のことを読んでいました。
なぜうろ覚えでも覚心の名前を覚えていたか
と、いうと
生き方が不器用というか、凄いというか、


信州松本に生まれ
義務教育を終えたくらいの年齢から仏教を学びます。
東大寺から始まり高野山などで真言仏教を・・

親鸞・道元・日蓮・一遍と
鎌倉新仏教の宗祖たちが湧出した時代に
名僧と言われながらも後の世に
それほど覚心の名を知る者が少ないのはなぜ?

本の作者は
ジェット機の時代にプロペラ機のライセンスに夢中になった者と例えています。

30代から真言密教から曹洞禅へと迷走は続き
40過ぎて鎌倉の寿福寺で瞑想中、胸から蛇が湧き出る幻覚を見て

  従前ノ学解ハコトゴトク究キョウデワナカッタ
 (何も悟ってはいなかったのね僕)

と、再び仏教修行を一からやり直します。

43歳で中国へ海外留学・・


覚心の紹介が長くなりすぎました。
書きたかったのは
この、覚心が中国の山奥で食べた味噌の味が忘れられず
帰国して味噌作りに精をだしその後「金山寺味噌」が出来
その味噌の溜り汁から「醤油」が出来たという
がむしゃらな一人のとんちんかん的生き方方向音痴の僧が
((^_^;)わたしが言うのもなんですが、、)

「覚心」という名のかわりに「醤油」という
今の日常になくてはならない調味料を残したというお話


大島出身の民俗学者 宮本常一も
そう、知名度は無いにしても
漂泊民、被差別民、性などの問題を重視して一時は無視された時期もありつつ
資料館で見る離島や過疎の村などで撮られた写真は
どれも生への強い思い、願い、香りが感じられる作品でした。


柳井の醤油屋さんと大島の資料館
覚心僧と宮本常一氏に会えたような小さな旅でした。


いちめんなのはな








         山 村 暮 鳥

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな








いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな










いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。






愛の架け橋

きのう、久々の越後屋と「殿と家来」のドライブを・・

出発間際まで行き先が決まらず
決まらないままに出発

急きょ「愛の藤橋」に決定



愛情深きわれ等にはこの選択はみごと! (-_-)zzz

この橋は
橋を渡った先のお住まいの奥さまが
病気の旦那さまが家から見えるようにと、橋の手前に藤を植え
毎年藤が伸びてくるのを楽しみに見るため植えたのが始まりであり
愛のふじ橋の名の由来となったそうです。


ええですね
愛のドラマ

人生で最大の幸運は

理想・双子・鏡 となる人に出会えることだそうだ
そんな人 なかなか出会えるもんじゃないし
上手な生き方をする人は せめて
それぞれ、別々の理想の人、双子のごとくの人、鏡となって己を教えてくれる人
と出会えるべく日々を彷徨してるんだと


と 現実味のない、少し悲しい話になってきた愛のお話は
春のやさしい藤の花さえ寂しげにみえてしまった・・・




帰り道で流れる曲 越後屋のCDから
小林旭の
「自動車ショー歌」
・・・・・
 ・・・・・
  鐘がなるなるリンカーンと
   ワーゲンうちだよ色恋を
    忘れて勉強 セドリック・・・

   (隣の生物 だれ?何者?)


水を張った広い田んぼに
新緑の山々に 吸い込まれ流れる曲


私たち二人の架け橋は
大きく
「人類愛」という架け橋で、行ったり 行ったり
(戻ったりはなし)
ではなかろうか??
(-_-;)
結論というにはあまりにも
あまりにも
あまりにも



*コメント欄から(一人大笑いしたので・・特別に転載させていただきました)
Morris.さん

藤の名所「愛の藤橋」\(^o^)/
すごいところがあるんですねえ。
藤といえば、藤棚か山に自生する樹の枝に巻き付いてるイメージしかなかった、藤と水の取り合わせにちょっと意表を突かれました。
ナイアガラ瀑布を彷彿させるシネマスコープ構図の写真もなかなかのものですが、大胆な縦長トリミング構がインパクト大でした。大衆演劇の垂幕を連想しました、失礼m(__)m

小林旭、いいですね。初期のコロンビア・クラウン時代にはスゴい名曲(迷曲)目白押しでした。タイトルだけで勝負できそうです。
「女を忘れろ」「俺にさからうな」「炭坑もぐら」「アキラのチンチロリン」「アキラのええじゃないか」「俺もゆくから君もゆけ」「俺は地獄の部隊長」「宇宙旅行の渡り鳥」「蒙古放浪記」「たすけられたりたすけたり」「月に吠える歌」「俺が憎けりゃうらみなよ」「泣いて昔が返るなら」「もう一度一から出なおします」「私もいろいろありました」…………(参考 Wikipedia(^_^;))
Morris.が一番好きだったのは「ダイナマイトが百五十屯」でした。ナイスなセンスの越前屋さまによろしくお伝え下さい。


テイカカズラ


この可愛さは 甘い香りは 曲者でございます
可愛いからと手を出そうものなら
全体に毒をはらんでおるのでございます
はなびら?の先はねじれ風車のように舞って散り
その後大げさなくらいの噴水状の綿毛で
遠くへ、少しでも遠くへの種が・・・

若葉のころは地を這いやがて、木の幹に根をくいこませ
やはり、おそろしい女、いや花ではあります


《 テイカカズラという名は、謡曲の「定家」に由来すると言われています。
 平安時代の終わり頃、後白河法皇の第三皇女式子内親王は、幼くして賀茂斎院となり、十年にわたって神社に奉仕していたが、病のために退いた。この頃、歌人として有名な藤原定家が皇女を慕っていたが、皇女は独身を守って49歳で病気のため亡くなった。それでもなお、皇女を慕った定家は蔦葛(つたかずら)となって、皇女の墓石にまつわりついた。皇女の霊が、自分の墓に蔦葛がまつわりつく苦しみを、旅の僧に訴えるというものだそうです。そこから「つた」のことを定家葛と言うようになったというものです。(参考:万葉植物事典 北隆館、週刊朝日百科 植物の世界 85 朝日新聞社) 》




花の姿とやってること 違いすぎるやん






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